- 第2章 11
- 宇宙生命体1
- 2007年3月25日
今日は、リラ星を起源とする銀河系の宇宙生命体についてお話ししたいと思います。
銀河系宇宙に存在する宇宙生命体は、私達人間と同じように肉体を持って存在しており、また、肉体を脱いだ後には、霊体として、彼らの宇宙霊界(天界)で永生するように創造されています。人間と異なるのは、宇宙生命体は高度な科学文明と霊性を背景に、長期間の寿命を持って銀河系に存在していることです。
銀河系宇宙生命体の寿命は、種族などにより異なりますが、数百年から数千年など、地球人類から見ると半永久的な寿命をもっています。彼らが長い寿命を持って生きている背景には、私たち人類とは比較にならないほどの高度な英知と、人間よりも数段進化した、合理的な生体構造を有していることがあげられます。
人間は、太陽エネルギー、水、空気をはじめ、食物から栄養を摂取して生体を維持する「従属栄養生物」ですが、宇宙生命体は、栄養の摂取においては、基本的に体内で自動生成し、不足する栄養分だけを食物から摂取するという「独立栄養生物」として、体内核反応ができる身体です。
地球人類のように短い寿命では、確かに霊性の成長進化にも限界があり、霊的な転生を繰り返さざるを得ませんが、彼ら宇宙生命体の場合は、高度な霊性と英知を有するまで進化することができる長い寿命を持っており、その意味では、霊的転生をあまり必要としない存在であるということです。
- 第2章 12
- 宇宙生命体2
- 2007年3月25日
宇宙生命体の身体は、宇宙空間で長き銀河の悠久歴史を生き続けるために、高度な生体機能を有していますが、その反面、地球上に存在するウイルスに対しは、非常にデリケートな性質を持っています。地球人類には当たり前でも、宇宙生命体にとっては非常に刺激的なことが多いということです。
一部の宇宙生命体においては、種の保存が危ぶまれるという深刻な問題も抱えています。高度な遺伝子科学の発展により、種の繁殖と保存が維持されてきた反面、生殖機能は退化する傾向にあります。
長い寿命を維持してきた彼らの宇宙文明ですが、その反面、失われてしまったものがあるのです。私が以前、南米や鹿児島の桜島で遭遇した霊的宇宙生命体に共通していたのは、高度な霊性と知性を持つ宇宙ファミリーでありながら、なぜか寂しい影を持っていたということです。
高度な宇宙文明を発展させてきた反面、失われてしまった本質世界があるということなのでしょう。
- 第2章 13
- 宇宙生命体3
- 2007年3月26日
長い銀河歴史を闇の宇宙空間で生き続けるために、彼ら宇宙生命体は、地球人とは異なる身体に進化しています。身体の機能が退化してしまった部分もあり、原始の銀河人類の原型を留めていないのが現状のようです。
2004年6月に、千葉県のわが家を訪れた霊的な宇宙生命体も、当初は私に気を遣って仮の姿で現れたのですが、その後、本当の容姿を見せていただいたときには、哀れみの情を隠せなかったことを、今でも忘れることはできません。それほど地球人類とは異なり、宇宙生命体の身体は、とてもデリケートに進化してしまったということです。
私を導いておられる宇宙生命体も同様であり、特に生命の光を発する太陽には敏感に反応し、また地球上のウイルスや霊的な障害には、異常なくらいに反応します。
彼ら宇宙生命体は、地球人には創造もできないほど、敏感であるということです。また、人類にとっては当り前なことが、宇宙生命体には感じられない、鈍感な一面もあるようです。地球人類が、宇宙生命体の存在を認め、宇宙文明の興亡盛衰歴史に綴られた背景を理解するまでは、彼らは公式に人類の前に姿を現すことはないでしょう。
太陽系次元で推進されるこの度の地球創生計画は、肉体を脱いだ彼ら宇宙生命体が、守護神として地球人にディセンションし、地球霊界とともに、地上人と一体連携することで成されて行く経綸であります。
- 第2章 14
- 宗教の形骸化1
- 2007年3月29日
愛の光を失った宗教者が、聖衣を着て
大衆に愛と真理を説く
これまさに、神の名を利用した悪魔の行いなり
光を見失いつつある既成宗教の形骸化と怠慢が、数多くの新興宗教を生み出す温床となっていることは否定できない事実です。釈尊の顔に泥を塗る仏教世界、イエスの顔に泥を塗るキリスト教世界など、世界の諸宗教を開いた開祖や先人達が再び現代に復活したら、形骸化したその姿に、激しい憤りを覚えることでしょう。
新興宗教の良し悪しは別として、温存する既成宗教に関わる諸氏は、今一度、自らが関わっている宗教のあり方を反省し、同時に個々の役割について再点検してみる必要があるのではないでしょうか。
日本でも古代から、神道が生活に根付いていますが、天孫降臨を自負する神道においても、経綸上の使命から外れ、形だけ温存している神社が少なくないように思います。
宗教は、少なからず世界経綸の担い手となるために発祥した、歴史的な背景を持っているはずです。世界の既成宗教が光を失ないつつあるということは、今やその使命を見失いつつあることを意味しており、それが新興宗教を生み出す温床にもなっているということです。
- 第2章 15
- 宗教の形骸化2
- 2007年3月30日
世の中には、さまざまな宗教がありますが、その中でも勢力を振るっているのが新興宗教です。
新興宗教の多くは、古い形骸化した既成宗教に対する反動から生まれたものが少なくありません。しかしその多くは、短期間のうちに勢力を拡大しながらも、霊的な成長進化が伴わず、いずれは自らも光を失い、形骸化して行く可能性を秘めています。
長き歴史の中で形骸化した既成宗教は、人間の欲と穢れが作り出した多くのカルマを抱えています。そのような既成宗教を打開するために生まれた新興宗教は、当然、既成宗教が持つカルマを越えて行く宿命を背負っています。ですから、純粋な信仰と無私のビジョンがなければ、いずれは既成宗教と同じように形骸化し、自ら分裂崩壊して行く運命をたどることでしょう。
日本にも数多くの新興宗教がありますが、その多くは宗派を問わず、組織的に多くの問題を孕んでいるようです。特に目立つのは、見えない世界への認識の欠如から、信仰の対象を人間に向けることであり、人間を神のごとく信仰する、人間崇拝の宗教に堕ちてしまうことです。
人間崇拝の宗教は、人間が神のような権力を持つことで、見えざる神々への認識を閉ざしてしまう、悪魔の宗教であるということができるでしょう。
- 第2章 16
- 宗教の形骸化3
- 2007年3月30日
世界経綸も相似的な歴史を反復しながら、発展しているのですが、日本においては、明治維新期から1945年の終戦前後までを背景に、当時の新興宗教が世界経綸を牽引する役割を担っていたように思います。
終戦前後の経綸は、結果的には失敗に終わった経緯がありますが、今回の経綸では、その失敗を乗り越えながら完成する道を開いて行くでしょう。
終戦前後は、極東アジアをベースに急速に勢力を拡大していた満州の紅卍会(こうまんじかい)や、日本の大本教が世界経綸を担っていた歴史がありますが、実際には、世界経綸の真意とは異なる人的な動きが先行したため、その使命を成し遂げることはできませんでした。
その後、世界経綸の担い手は、霊的に分派した新しい新興宗教に、その使命を移行して行きますが、現代に至っては、それら振興宗教も多くの課題を自ら抱えることとなり、残念ながら再度新しい担い手たちに、その使命を移管して行かざるを得ない現実を迎えているようです。
キリスト教とユダヤ教など、西洋型父系イスラエル民族歴史のカルマを打開清算するために生まれた新興宗教、そして仏教やイスラム教など、東洋型母系ヒッタイト民族歴史のカルマを打開清算するために生まれた振興宗教、さらに、世界経綸の主軸となる神道のカルマを打開清算するために生まれた新興宗教など、日本には複数の新興宗教が、世界経綸の担い手として動いてきた経緯があります。
それらの諸宗教において、世界経綸の担い手としては不本意な、人間崇拝宗教に変貌しつつある現実があり、その課題を越えて世界経綸を担って行くには、すでに限界があるように思います。
昭和時代の旧丸十字体制の中枢が連携すべきだった、それぞれの諸宗教も、今ではその使命から外れて、人間の我欲により国家主権を私物化しつつあり、世界経綸の本意から逸脱する限りにおいては、それらの新興宗教も終焉期を迎えているといっても過言ではないでしょう。
- 第2章 17
- 世界経綸8
- 2007年3月30日
旧丸十字体制につながる諸宗教の中には、国家主権に大きな影響力を持っていた政治家や官僚、経済人、学者などが多く見られるようです。
裏国体中枢としての旧丸十字体制の中で、終戦前後から首相秘書官として、政界のご指南役として活躍された鹿児島出身のA氏がおられました。旧丸十字体制の不本意な国家への私物化が引き金となり、その結果、バブル経済の崩壊によって、世界経綸に大きな打撃を与えてしまったことをA氏は嘆き、深く心を痛めておられたのです。
A氏は、旧丸十字体制の中枢に関わりながら、世界経綸への認識を欠いていたことを、自らの不覚であったと、熱心な仏教信徒として深く懺悔し、悲願達成できずに他界されました。明治維新に当てはめれば、A氏は西郷隆盛のような役割を担っておられた方であったように思います。
また、A氏とは陰陽の立場に立ち、歴代首相をはじめ、多くの政治家を水面下から指導しておられた満州生まれのB氏がおられました。
B氏は、A氏と同様、日蓮上人を信奉する方で、大本教の流れを継ぐ某宗教の大幹部でありながら、一変して世界経綸の一躍を担う某新興宗教の会長に就任されましたが、某新興宗教における経綸上の失敗により、日本を神国化するという天命を達成することは、できずに他界しています。
歴代首相をはじめ、数多くの政治家が、同様に旧丸十字体制に深く関わった経緯があります。本人たちは、世界経綸に関わっているとの自覚は無いのですが、実質的な世界経綸の担い手として動いていたということであり、経済人や官僚、学者にしても然りで、数多くの著名人が、旧丸十字体制と深く関わりを持っていたということです。
- 第2章 18
- 世界経綸9
- 2007年4月1日
世界経綸の新しい次元をこの4月から迎えます。世界経綸の視点から見て、昨年度と異なることは、これまでの男性主導の経綸の仕組みが、女性主導の経綸の仕組みに転換してスタートするということです。
これを世界の潮流に置き換えてみると、父系型西洋文明主導による人類歴史が、母系型東洋文明主導の地球文明歴史へと転換して行くことであり、表現を変えれば、イスラエル民族主導の人類歴史から、ヒッタイト民族主導の人類歴史へと、世界の潮流が変わり始めるということです。
ヒッタイト民族とは、太陽を信仰する母系民族を指していますが、その紋章が日の丸であり、太陽が八方位に光り輝く姿を現したのが菊の紋章の本意です。つまり、大和民族のルーツはヒッタイトであるということです。
トルコのアナトリア高原を中心に栄えたヒッタイト文明は、紀元前3000年前に、民族ごと大移動してヒマラヤ地域に定住し、アッサム、バングラデイッシュ、ビルマに三国を建設した後に、再度大移動し、インドシナ半島からインドネシア、そして黒潮を介して沖縄から九州へ、さらに奈良に移動して新しい都を築きました。これが紀元節の意味するところです。極東日本から新しい地球文明創生のムーブメントが始まる。これが新しい世界潮流の起点となる、母系日本民族の使命なのです。
- 第2章 19
- 世界経綸10
- 2007年4月1日
東洋の母系型ヒッタイト民族と、西洋の父系型イスラエル民族は、陰陽と裏表の関係性を持って、歴史を動かしてきた中心的な民族です。
モーセを先頭に、イスラエル民族が理想郷を求めて出エジプトしたように、ヒッタイト民族も国常立之尊を先頭に、理想郷を求めて大移動しています。
陰陽と裏表の関係性を持つ民族ですから、いずれも相似的な歴史をたどっています。元々は、いずれの民族も同じルーツに至るのですが、途中で分裂の歴史をたどります。
イスラエル民族としての歴史は、旧約聖書の歴史から観れば、アブラハムを祖として始まり、その後、その血はモーセをはじめサウル・ソロモン、ダビデに引き継がれ、やがてイエス(=キリスト)を誕生させることになります。
それに対してヒッタイト民族の歴史は、母系型の歴史をたどりながら、2000年前には、陽(表)のキリストに対して陰(裏)のキリストを誕生させるわけです。この陰のキリストを誕生させるための歴史が、ヒッタイト民族の歴史でもあります。2000年前の経綸は、残念ながら失敗に終わっていますから、この度の経綸では、これまでの2000年間に綴られた人類のカルマを浄化清算しながら、再び2000年前に相似した時代背景を迎えています。
世界経綸からみると、イスラエル民族も、ヒッタイト民族も、極東アジアに帰還して行く必然性をたどり、極東アジアを舞台に、両民族が連携しながら世界経綸を完成して行く、歴史背景があるということです。
- 第2章 20
- 世界経綸11
- 2007年4月1日
イスラエル民族とヒッタイト民族の歴史の流れからみると、いずれも極東に帰趨する必然性を持っています。
これは、極東から発生分散していった民族が、再び歴史を越えて極東に帰還する元帰りの歴史であり、長き旅の後に帰還してくる伝書バトのような、帰趨本能の業であるといえましょう。
では、極東とはいずれの場所を指すのでしょうか。
結論からいえば、元々陸続きであった日本列島と朝鮮半島一帯の地域のことを言います。
日本列島と朝鮮半島に、人類歴史相剋のカルマが集積するということであり、朝鮮半島においては、経済格差を象徴する南北問題として、また、朝鮮半島と日本列島においては、思想対立を象徴する東西問題として表面化するということです。
比喩的に表現すれば、朝鮮半島の南北対立は兄弟喧嘩を、朝鮮半島と日本列島の対立は夫婦喧嘩であるといえます。
これは、ヤハウェの真意から逸脱してしまった人類始祖の家族における対立関係が、世界次元に拡大発展した姿とみることができます。
朝鮮民族は、最終的に父系型イスラエル民族歴史が帰趨した民族であり、また日本民族は、最終的に母系型ヒッタイト民族歴史が帰趨した民族であり、陰陽の関係にあたる日本民族と朝鮮民族は、近くて最も遠い民族といえるでしょう。
世界経綸と言う視点からみると、日本列島と朝鮮半島地域に、人類歴史の東西・南北の諸問題が集約されるわけであり、これらの問題を世界経綸の視点から考察することで、極東アジアの問題を解決する道が開かれることになります。