- 第3章 21
- 地球創生の命題
- 2007年9月1日
ヤハウェをはじめ、銀河系宇宙連合体が主導する世界経綸の基本命題は、失われたヤハウェとの霊的な親子関係の回復、それを基本とした神の子たちによる理想家庭の実現、そして、宇宙本源の愛が宿ることのできる神の国・理想郷の創建が、大きな柱でありましょう。
銀河人類の祖ヤハウェから見れば、地球人類は誰もがかけがえのない存在であり、すべての人類が自らの神性に目覚め、神の子としての自覚に立たなければ、親としての心は、いつまでも癒されることはないのです。
現在も地球上では、毎日数千人の子供たちが飢え死にしている現実を思えば、心休まることのないヤハウェの心情であることを、私たちは理解する必要があります。
世界の現状に目を向けず、飽食と怠慢に明け暮れる文明社会には、ヤハウェと同じ目線で世界経綸を考察することは、困難であるように思います。病める世界の現実を知らずに、自分の救いだけを求める個人主義的な文明社会は、大きな禊がなければ自らの非に目覚めることはないのでしょうか。とても残念に思います。
ヤハウェからすれば悲しい人類の現実に、今でも苦悩せざるを得ず、その心情に触れた者は、自ら率先して天界の手足となって動かざるを得ない、それが親の心情・事情に触れた神の子たちの姿勢ではないでしょうか。
人は誰もが小さな存在ですが、誰もが神性を宿しており、天意に繋がることで、天界と霊界を動かすことのできる無限の可能性を秘めた存在であり、意識次第では、世界を動かして行く担い手となるのです。それが神の子として目覚めた者に与えられた特権であろうと思います。
- 第3章 22
- 歓喜の愛
- 2007年9月3日
宇宙本源意識の本質は、普遍なる歓喜の愛そのものであり、そこは善悪の概念も存在できない普遍の神聖領域です。
人類が宇宙本源の愛を自らの内に体現していくためには、日々の生活が感動と歓喜に包まれることが大切であり、神の子としての神性を輝かせるための必要な条件でありましょう。
では、日々の生活が感動と歓喜に包まれるにはどのようにすべきなのでしょうか。感動に包まれる歓喜の愛とは、愛を要求する受身的な立場では体現することはできません。自ら主体意識に立ち、見返りを求めない無償の愛を実践して行く、内側から発現される歓喜の愛であるということです。
- 第3章 23
- 世界経綸から見た国おこしの手法
- 2007年9月3日
国づくりの手法については、UPOですでに述べているように、国の中央主権に影響を与える人々を動かしながら推進していく縦的トップダウン方式によるものと、大衆運動化しながら、地方から国おこしムーブメントを推進していく横的ボトムアップ方式があります。
新しい国おこしを推進するためには、これらの2つの手法が、縦横一体連携しながら推進されていく必要があり、いずれの手法に偏っても合理的な改革手法とはならず、現実社会を動かして行くための効果的な戦略とはなりません。
また、縦横一体連携の国おこしの体制が、天意に適う体制となるには、これらの縦軸と横軸の2つの一体連携手法を土台に、天界と霊界のサポートを動かしながら推進して行く、天地を結ぶ垂直軸を柱とした縦横・垂直軸の3軸統合による連携体制が執られるべきであるということです。
つまり、天意に適う国おこしを推進するためには、これらの3軸統合のための人的鋳型が必要であり、この霊的鋳型なくして、天界と霊界を動かしながら推進して行く世界経綸の手法とはならないのです。
この様な3軸統合の霊的鋳型による国おこしの体制が整うと、効率よく国おこしを推進することができ、何よりも、天界と霊界が総動員できるようになることで、人事を遥かに超えた奇跡的な結果を生み出しながら、人づくりを土台とした国おこしの渦を起こすことができるでしょう。
- 第3章 24
- 無限の可能性
- 2007年9月5日
人が虚構世界の呪縛から脱皮するということは、自らの神性を拘束しているこの世の既成概念を乗り越えて行くということであり、決して受身的な姿勢では越えることのできない、誰にでも共通した心の障壁といえるでしょう。
しかし、人は誰にでも天意に通じる個別の神性が内在し、その光は、自らの想いを形にする自己創造のエネルギーとして、機能する力を宿しています。人が神の子として創造されているということは、誰もが心の内に無限の可能性を秘めて創造されているということです。
人は自らの心の内に宿る神性の光を見出したとき、無限の可能性を発揮するようになり、神の子としての自己創造の道を、あなたの神とともにスタートすることができるのです。 天意に適う想いは必ず形になります。その想いが大きければ大きいほど、実現までに要する時間は多くなりますが、想いは必ず実現します。
- 第3章 25
- 真理は心で学び悟るもの
- 2007年9月7日
真理は心で学び悟るものであり、決して頭で学ぶものではありません。
頭で学んだ真理は言葉と文字だけを脳に記憶させるだけで、決して言葉の意味を理解することはできず、知識と情報だけは蓄積しても、心の成長に繋がる霊性の啓発とはなりません。人は心で真理を理解することができなければ、真理を神審することはできず、複雑に多様化し氾濫する情報の真実性を、見抜くことはできないのです。
今、私達に必要なことは、自らの心で真理を悟り学ぶことが大切であり、決して知識を数多く頭に詰め込むことではないということです。
教育とは、字の通り教え育むことですが、残念ながら現代教育は、知識偏重に偏ることで、心の育みを忘れたシステムに形骸化しているといえましょう。
- 第3章 26
- 人霊に依存してはならない
- 2007年9月7日
人霊のメッセージに支配され、虚構の神世界の呪縛から抜け出せず、大切な人生を犠牲にするシャーマンが存在するようです。人霊は、あくまでも過去に生きた人の霊なのであり、決して未来を導く神ではありません。
神の子意識に目覚めた者達が人霊に奔走されるのは本末転倒であり、ヤハウェ主導の世界経綸が発動した今、霊世界のメッセージに依存していては霊世界の呪縛から脱皮できず、自らのカルマから解放されることはないでしょう。
ヤハウェなき似て非なる理想世界の真理を説く人はこの世に数多くいますが、真に光りある理想世界を創造する担い手にはならないということです。
私達が意識すべきは、自らを光の世界に導く守護神(=守護天使)であり、決して人霊に未来を依存すべきではないことを悟ることでありましょう。
- 第3章 27
- あなたの神と一体せよ!
- 2007年9月7日
人は、誰もが宇宙本源の光を宿す神の子として創造されていることは、何度も申し上げていることですが、神性の光が乏しく自覚が浅い人は、とかく他力に依存し、霊に振り回されやすくなります。
人は、外に真理を求めることを本願とするのではなく、自らの神、すなわち自らを親のように導く守護神(=守護天使)に真理を尋ね求めるべきであり、決して他人に依存してはなりません。
霊的成長段階の過程ではそれでもよいのですが、自らの神性に目覚めないうちに人に救いを求め、自己責任を放棄しては、自らの神性を何も啓発することはできず、似て非なる精神世界の呪縛から脱皮することは困難でありましょう。
- 第3章 28
- 不動であれ
- 2007年9月12日
人は、自らの内に<無><空>を体現したときに、不動の心<零>となり、<無>だけでは、また<空>だけでは<零>とはならない。
<無>とは無心、無邪気の文字に示されるように、自分の魔を超えることを意味し、<空>とは空気や水の流れのように、自然のリズムと合一調和することを意味している。
たとえば<無>は日蓮の心に通じ、<空>は空海に通じ、<無>を縦軸とすると<空>は横軸の関係となり、この2軸が一体調和することで<3軸=零>としての天地垂直軸が完成する。
自らの内に<零>の心を完成するとは、すなわち、大日如来の心で人々を天の光で照らすことのできる<無限>の太陽としての働きを持つということであり、初めて天意に適う愛の光を体現できる、不動の人となるということです。
- 第3章 29
- 偽りの預言者たち
- 2007年9月12日
この世に天の時を伝える預言者は数多い。霊界人も救いを求め、必死に預言者たちに世界経綸の動きを伝えようとしているが、その本意がわからず、世界経綸を証すべき預言者としての本意を忘れている人が多い。
預言者とは世界に天の時を知らせ、多くの人々を天意に誘導し、導いて行くべき役割がありますが、自ら救世主と誤認することで、その役割から逸脱し、似て非なる世界経綸を自ら走ろうとします。
イエスの時代に洗礼者ヨハネがおりましたが、まさに洗礼者ヨハネこそ、イエスは来るべきキリストであることを証すべき預言者でした。しかし、結果的には、洗礼者ヨハネ自らがキリストであると誤認することで、イエスの立場を見失い、預言者の立場から逸脱してしまったのです。そのためイエスは、「女が産んだ者の中で、洗礼者ヨハネほど大いなるものはいない。しかし天国では、最も小さな者と呼ばれるであろう」と、洗礼者ヨハネの失敗を嘆いています。
同じようなことが今の時代にも起こり、過去の預言者達が失敗した間違いを、今の時代に再び繰り返しています。
預言者達の失敗の背景には、例外なく魔性に働く女性たちの惑わしが関わっており、魔性を治められない預言者達は、霊界には通じても、ヤハウェの天意には触れることができず、自らの大切な天命から逸脱してしまう原因になっています。現に≪Project GAIA≫のメッセージに触れながらも、その真意を悟らず、自ら神の如くに動かれる御仁が居られるのは悲しい事実です。
せっかく歴史をかけて準備された預言者でありながら、過去の教訓を活かせず、自らの天命から逸脱するという、天から見れば最も罪深き人々となるか否かの正念場が、この9月となります。
- 第3章 30
- 似て非なる世界経綸
- 2007年9月12日
各地には南から北まで、数多くの似て非なる経綸の動きが見られます。似て非なる経綸か否かは見分けがつきにくいのですが、よく見ればそこにはヤハウェが存在せず、彼らは直接に宇宙本源の神と誤認するこの世の神を説くのです。似て非なる経綸を解く当事者が、虚構の宇宙世界を理解できないのですから、後から続く者達たちも、その呪縛から解放されることはなく、大きな問題でも起こらない限り、その呪縛からは抜けられません。この世には偽りのチャネラー、シャーマン、ヒーラー、霊能者、預言者たちが横行していることを知るべきでありましょう。
似て非なる経綸世界に共通していることは、特定の人間を神として崇拝させようとする魔的なエネルギーが働くことにより、個々の神性の啓発を著しく妨げてしまい、自らの光を輝かせるのではなく、むしろ光を奪われ、闇の神々に従うようになり、気がついたときには、闇の呪縛から抜けられなくなることです。
地球霊界に造られた虚構の宇宙世界の神となったルシファー族を、それぞれが解放することなく、偽りの神を宇宙創造神と誤認し、似て非なる経綸に走ってしまうということです。